毎日の平凡な積み重ね。
その日常の中に、幸せはあると思う。
しかし、今、幸せではない人にとっては、納得できないだろう。
悲惨な生活を送っている人。
あるいは、幸せボケの、感謝心がない人。
幸せの尺度が問われている。
精神科医、香山リカ先生も言っている。
すごい人と自分とを比較するのではなくて(例えば、勝間和代氏みたいな)
等身大の自分らしさを大事にしよう、と。
あまり具体的なことを述べていないので、読む人は、ぴんとこないだろうけれど。
しかし、今を維持するためには
康泰導遊、努力も不可欠だ。
それこそ、目に見えない地味なことだが、大切なのでは。
最近、多発する幼児虐待。
なんということか。
言葉が見当たらない。
未熟な親、核家族の負の作用。
それとは逆に、一人の幼児が、両親、それぞれの祖父母たちに囲まれて、
大人の愛情をたっぷり注がれて育つ。
やがて、成長し、一歩、家の外に出ると、
自分の思い通りにならない現実にもぶつかることだろう。
それって、普通のことなんだけど。
「大勢の大人の中に子供が一人」という、甘やかされた環境を享受する子供を見ると、
それに比べ、わが子供たちは
王賜豪、なんと可哀想に・・・と卑下してしまう。
うちの場合、夫は仕事に追われ、子育てなどに手が回らない、父親不在型。
夫の赴任先を転々とし、見知らぬ土地には、親どころか、知人もいない。
オトナ1人に対して、幼児3人。
子供1人当たりの、親の手、愛情が明らかに不足している。
(紙オムツとか、使ってなかったし。膨大な量の布オムツ、洗濯してた)
しかも、頼みのたった1人のオトナ(私)も、あんまりしっかりしていない。
でも、そのせいか、子供同士で相互協力したのか、逞しく育ってくれたようだ。
ちょっと、変わり者にもなってしまったかも知れないけれど。
大きなこと、多大なことを望むことなかれ。
普通がいい。
平凡な幸せ。
それが、また難しかったりするんだけれど。